3巻以内で完結するおすすめマンガ
一冊で完結するすごいマンガはすでに紹介したので、今回は3巻以内で完結する面白いマンガをご案内します。
すべて2冊~3冊で完結しています。どれも自信を持ってご紹介できる作品ばかりですので、気になった方はぜひ読んでみてもらえるとうれしいです。
『兎が二匹』(山うた)全2巻
死ねない少女の過酷すぎる運命
永遠の命を持ってしまったすずが、恋人や友人との関係に悩み生きる物語。
絶対に死ねないという設定があまりにも残酷。仲良くなった人たちが、自分を置いて次々と死んでいくとしたら、自分はどうするだろうか。と、思わず考えてしまう。
読みやすく親しみやすい「火の鳥」という感じも。一巻からかなり衝撃的な物語展開をします。
二巻の絶望感がすさまじいです。広島の悲劇が胸にズキンときます。号泣必至です
『銀河の死なない子供たちへ』(施川ユウキ)全2巻
未来を選んだ子供たちそれぞれの選択
人類が死滅した星で元気に生きる永遠の命を持った少年少女が、命ある少女と出会ったことで自らの生き方を考えはじめるお話。
奇しくもこちらも永遠の命の話。ですが、こちらはわりと能天気で、気楽に暮らしています。それでも、命と向き合わなければならない時は来て、その時に選ぶ生き方が壮絶。かわいらしい絵柄からは想像もつかないほどの、壮大な話が展開します。
ラストの重さは最初からは想像がつかない。終末論的な話としてもおススメ
『千年万年りんごの子』(田中相)全3巻
ホラー的な要素もある現代のおとぎ話
村のタブーを破ってしまったことで、ある悲劇に見舞われる若夫婦の話。
昔から脈々と続く村の禁忌という設定がまず目を引く。さらに、そこから展開していく話がいかにも土着的で、かつ夫婦の愛を感じさせるもので、ぶっちゃけむちゃくちゃ泣かされる。やや少女漫画的な絵柄だが、絵も素直に上手い。かなりグッときます。
もしかしたらあるかも…と思わせる話が切なくて上手い
『子供はわかってあげない』(田島列島)全2巻
背伸びした子供たちの世界観がそのままマンガに
田島列島が描くある問題を抱えた子供たちのひと夏の物語。
離婚や新興宗教など、大人のえぐい話も入っているのに、どこか子供目線で捉えられる世界が、懐かしくやさしく楽しい。ボーイ・ミーツ・ガールの要素もあり、夏休みの要素もあり、その点でも少年的。読み終わってなんかほわっとした温かい気分になります。
田島列島の世界観としか言いようのない世界がたまらない
『僚平新事情』(六田登)全2巻
夢だけでは食べていけない厳しい画家の世界
六田登が描くある青年画家の苦悩と葛藤の日々。
ヤクザに美術を教えなければならなくなった美大生の話で、基本的にはとてもコミカル。なのに、ところどころに出てくるヤクザの死生観や、画家としての矜持などが、妙に胸に迫る。特に最後の一編は秀逸。笑って泣いて、最後には頑張ろうと思える作品。
かなりふざけた調子のマンガなのに読み終わるとグッときます
『夜さん』(佐原ミズ)全2巻
地味に心にずきずきくる現代のファンタジー
臨時の美術教師として田舎にやってきた夜さんと中学生の晨くんとの不思議な日常を描いた物語。
夜さんと書いて「いつやさん」と読みます。「世にも奇妙な物語」にでも出てきそうな、かなりファンタジックな話なのですが、その反面、やけにリアリティがあり、不思議とどんどんと引き込まれます。最後の展開は思わず唸ってしまうほどにすごい。2巻で終わってしまうのがもったいない話です。
衝撃のラストと言ってもいいかと。でも納得できるし、満足もいきます
『コドモのコドモ』(さそうあきら)全3巻
小学生たちが挑む大人に内緒の出産
さそうあきらが小学生の妊娠・出産をテーマに描いた子供たちの冒険の物語。
小学生の出産というかなり過激な問題を扱いつつも、内容はいたって真面目。妊娠を知ってしまった少女と、彼女を応援するクラスメートたちが、一致団結して出産に挑んでいく様子は感動的です。彼女をめぐる大人たちのやり取りもかなりリアルで、いろいろと考えさせられるのも面白い。後日談もお見事。
映画にもなりましたが、原作のほうが圧倒的に面白いです
『アイシテル─海容─』(伊藤実)全2巻
7歳の幼な子を殺した犯人は11歳の少年だった…
少年が少年を殺すというセンセーショナルな題材を細部まで丁寧に描き切ったマンガ。
まるでノンフィクションなんじゃないかって思うぐらいに、少年や彼らの周りの人間の様子を徹底的かつ深くえぐって描いているのが印象的。少年の動機とは何だったのか、どんな状況が彼を追い込んだのか、彼らは事件を抱えてどうやって生きていくのか。様々な視点で描かれる物語は、深く心に何かを刻む。絶対に読んでおきたい一冊。
ものすごくせつなくなって、たまらなくなって、きっと泣きます
『アイシテル─絆─』(伊藤実)全2巻
殺人の罪を背負って生きる業
『アイシテル─海容─』のその後の物語。
殺人犯だった少年の弟の目を通して語られる、兄のその後は、あまりにも残酷で過酷でいたたまれない。でも、これが殺人という罪の重さなのだ、とも思わされてとても複雑な気分になる。前作よりももっと社会派色が強い印象。ぜひ前作を読んでから、こちらを読んでもらいたい。
加害者家族はどこまで罪を背負わされるのか。難しい問題を考えさせられる作品
『スター・レッド』(萩尾望都)全3巻
巨匠・萩尾望都が描くSFロマンス
火星をめぐる未来人たちの話。超能力、宇宙旅行、謎の火星人、いかれた科学者と、これでもかというぐらいSF的な要素が詰め込まれていて圧倒させられる。たった3巻しかないというのが嘘だと思えるぐらいに、内容はとんでもなく壮大。しかも、その物語がちゃんとまとまって最後に着地するのがすごい。読み応え満点です。
3巻で完結してみせるSF大河と言っても過言ではない
『さくらの唄』(安達哲)全3巻
エロと情熱が入り混じったむき出しの青春
美大を目指す高校生の過酷な運命と性生活を描いた安達哲の問題作。
秘めた恋心や鬱々とした欲望など、思春期の陰の部分をそこはかとなく描いてる前半から一変、後半はほとんどが自意識とエロの話になる。特にエロの度合いはすさまじく、描写もとんでもなく過激に。原作は3巻が成人指定にされてしまったほどだ。
とはいえ、この作品には必要性のあったエロで、浮いていると感じる個所はない。エロ込みでこその思春期そのもので、抜群に面白い。(原作は絶版。現在手に入るのは復刻版の上下巻)
エロ本顔負けのとんでもないエロさがヤバイ
『I am マッコイ』(小林まこと)全3巻
文句なしにただただ笑えるだけの名作
「ホワッツマイケル」や「柔道部物語」などの小林まことが描く、ぶっ飛んだ不良少年・松恋のめちゃくちゃな日常。
物語とか設定とか、すべてがもうどうでもよく適当で、なのにひたすら笑えるギャグ漫画の大傑作。下ネタとかもやたらあるのだけれど、微妙なラインで下品にならず、かといって上品でもなくいい感じで攻めてくる。最高にバカバカしくて爽快。
考える必要は何もない。ただ笑えばいい
『Endroll』(大野ユカ)全2巻
明日を求めてやまない闇を抱えた高校生の姿
家族を殺した叔父にカメラを託された高校生が、壮絶ないじめで不登校になっている女の子の映画を撮ろうとする話。
息を呑むっていうのはこういうことなんだと思う。このマンガのどこにもほっとできるところはない。頭から最後までとにかく徹底的に暗く重い。しかもその重さが読み進めば進むほど、どんどんと募っていく感じ。強い心持ちの時でないと、本気で心が折れそうになります。でも、それでも生きる、というラストは素敵です。
ひたすらエグイので覚悟して読んでください
『トーチソング・エコロジー』(いくえみ綾)全3巻
僕の前に現れた幽霊はリアルで温かかった
売れない役者がある日、幽霊を見つけてしまい、その幽霊と日常を過ごすようになる話。
自分にしか幽霊が見えない、という設定が絶妙。主人公は幽霊にも気を使い、その場をまとめようとするのだが、その様子もかわいらしくておかしい。また、途中から幽霊が姿を変える展開には感心した。作者は日常を描きつつ、テンポよく話を進めるのが上手い。あまり少女漫画っぽくない絵柄なので、男性でも気軽に気持ちよく読めると思う。それでいて読み終わると、心に重く残る何かが確かにある。すごいマンガだ。
BLっぽい表紙に騙されないように。結構、心に来る人間ドラマです
『さよならソルシエ』(穂積)全2巻
知られざる天才画家・ゴッホの真実
上流階級にしか解放されない美術の世界に嫌気がさしたパリの画商であるテオが、さまざまな手を尽くして美術を民衆の物にしようと企む話。
歴史に疎いので、これが当時をリアルに描いたものなのかどうかはよくわからなかったけど、説得力は充分にあった。知恵とコネを活かして、美術界に旋風を巻き起こしていくテオの手腕は、読んでいてスカッとするほど心地いい。切なさを感じさせるラストもお見事。ゴッホについて知りたい人には特におススメします(真実ではないけれど)。
NHKあたりがドラマ化したらいい思うほど、勉強になります。
3巻ぐらいだとわりと簡単に読めるので、気になったマンガがあれば挑戦してみてくれるとうれしいです。
じつは好きなマンガの大半が4巻完結で、ここでは紹介できませんでした。
悔しいので、今度は4巻モノで記事を書こうと思います。きっと。
【厳選】たった一冊で満足できる傑作マンガ
知らないマンガを読んでみたいけど、長いのはちょっとなぁと思ったことありません?
僕はあります!(断言)
そこで、今回はそんな時に読みたい、一巻できっちり完結するおススメマンガをご紹介します。
ストーリー重視派なので短編集は入れていません(連作短編集はあり)。ちょっと時間が空いた時に読むといいと思うよ。
3巻未満で完結するおススメマンガはこちら
『ベンケー』(さそうあきら)
走る。ただそれだけに青春のすべてを賭ける!
陸上の短距離走に青春をかけている女子高生と、彼女の家に居候することになった男の子、そして天才短距離走者の話。
『神童』や『トトの世界』などで知られるさそうあきらの隠れた名作。
下手に見えてじつは上手いのほほんとした絵と、繊細この上ないストーリーが見事にマッチしています。スポーツ漫画好きにもおススメ。「胸が邪魔だ」は名台詞だと思う。
得意なこととやりたいこと、夢と現実。青春のまぶしさと残酷さが全部つまってる
『シーソーゲーム』(さそうあきら)
淡く交差する少年と少女の恋物語
だらしない野球部員と幼なじみで野球をこよなく愛する女の子の話。
これまたさそうあきらのスポーツ物系青春マンガ。
すれ違ったり近づいたりする主人公とヒロインの距離がたまらなくいい。決して熱血ではないんだけど、なんか熱くなるスポーツ物。スイカのエピソードは必読!
儚くも微笑ましい。懐かしい初恋をきっと思い出す一作
『マイ・ブロークン・マリコ』(平庫ワカ)
圧倒的な画力に酔いしれろ!
自殺してしまった元同級生の親友の骨を奪い、旅に出る女性の話。
平庫ワカのデビュー作。物語もキャラもすべてがいいんだけど、それをもかすませるぐらいに絵が上手い。どのページもすべてがポスターにできそうな品質。そのうえ、マンガとしての表現も秀逸。すべての絵が訴えかけてくる。壮絶な物語を最高の絵で楽しもう。
表情、構図、演出、見せ方、すべてが一級品
『雑草たちよ 大志を抱け』(池辺葵)
人のやさしさに涙がこぼれ落ちる
あまりパッとしない女子高生たちの青春を描いた連作短編集。
ほんわかとした絵とは裏腹に内容はかなりシビア。とはいえ決して暗くはなく、むしろ優しさに満ち満ちている。どこにでもいるような女の子たちの姿は、とんでもなく共感を呼ぶ。何度読んでも泣いてしまう、女子高生モノの傑作。ひーちゃん、最高。
これ読んで泣かない人とは友達にはなれません
『リバーズ・エッジ』(岡崎京子)
読む者を圧倒する青春マンガの金字塔
いじめられっ子の男の子と死体を見に行く女子高生の話。
たぶんものすごく有名な作品です。岡崎京子の描くマンガって、好きなことをやってるチャラ系の人たちが「それでも時にはさみしいよね」とか言ってるようなイメージがあって、そんなに好きではないのですが、これは別物。アンチ岡崎京子ファンさえも唸らせるとんでもない一作。映画を観てダメだった人にもぜひ読んでもらいたい。
人間の持つ陰の部分がぐいぐいと心を鷲づかみにしてくる
『X細胞は深く息をする』(やまあき道屯)
映画を思わせるような壮絶な人間ドラマ
心臓病で亡くなった初恋の女性を思い、それぞれに別の医療の最先端の道を究めようとする二人の男の物語。
絵柄は好き嫌いが分かれそうですが、物語の濃度はすさまじい。まるでサスペンス映画のようなドキドキ感と、すべてが収束する強烈なラスト。かなり分厚い一冊だけど、読み終わったあとの満足感はほかでは味わえないと思います。
東野圭吾の作品とか好きな人はハマるはず
『あどりぶシネ倶楽部』(細野不二彦)
夢に向かう人たちはカッコ悪くて美しい
大学の映画研究会の面々の地味な映画作りを描いた一作。
『ギャラリーフェイク』などで知られる細野不二彦の隠れた名作。
映画に情熱を燃やす登場人物たちがひたすら熱い。ものづくりの楽しさを再確認させくれるマンガです。これ読むと、なんか作りたい気持ちにさせられます。
文科系青春モノの元祖。『左ききのエレン』とか『映像研には手を出すな!」とか好きな人向き
『うにばーしてぃBOYS』(細野不二彦)
何も考えずに読めるお気軽コメディ
何にもしないぐうたら大学生たちのはちゃめちゃな日常を描いたマンガ。
これまた細野不二彦の傑作。恋愛したり、パーティーに行ったりして、騒いでいるだけのマンガなのですが、キャラがみんな弾け切ってなくて地味に染みてきます。『あどりぶシネ倶楽部』と読み比べたいマンガ。それにしても細野不二彦はお話づくりが上手い。
現実の大学生はみんなこんな感じ。きっとどこかで共感できるはず
『アレルギー戦士』(石坂啓)
生きていることがつらいと感じているすべての人に
不良のレッテルを貼られた女子高生が、未来から来たおじさんと世の中を変えようとする話。
最近では政治的発言で目立つようになってしまった石坂啓の隠れた名作。
生きづらさということに焦点を当てて、現代社会を風刺したSF的作品。メッセージ性は強いけれど、どこか納得もさせられてしまうマンガとしての力強さがある。これを読むと、ああやっぱり石坂啓は手塚治虫の弟子なんだなぁとあらためて思わされる。
青臭いけれど真っすぐ。こういうマンガ、最近あまり見かけません
『私たちの幸せな時間』(原作:孔枝泳 漫画:佐原ミズ)
愛と死と生を考えさせられる究極の恋愛物語
ある死刑囚と自殺願望を抱えた女性との心の邂逅を描いた人間ドラマ。
愛とは何なのか、生きるとは何なのか、という問題を真正面から取り扱っている骨太マンガ。美しい絵と心をえぐるような物語が胸を打つ。原作は韓国の小説で、翻訳を北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さんがしているのも意外な注目ポイント。
生きている意味とか真面目に考えたいときにおススメ
『とどのつまり』(原作:押井守 漫画:森山ゆうじ)
意味わからん! でも面白い!
記憶をなくした男が自分探しを続ける未来のおとぎ話。
押井守が作り上げた意味不明の世界観を森山ゆうじが力技で作品に落とし込んだような感じ。正直、わけがわからないところも多いのだけれど、勢いと爽快感は素晴らしい。変わったマンガが好きな人には絶対におススメ。
真面目に考えはじめると頭が爆発するのでご注意を
『外天楼』(石黒正数)
世界がひっくり返る驚愕の展開
外天楼という名のアパートをめぐって起こる出来事を描いた連作短編集。
一部で熱狂的なファンを持つ石黒正数の怪作。
読みはじめと読み終わりで180度世界が変わる。本当にもう驚きのひと言しかない。最初の話がつまらないと思っても、絶対に最後まで読んだほうがいい。よくぞ一冊でここまですごいことをやってのけた、とひたすら感心する、まさに怪作。
たぶん二度読みしてしまいます。それぐらい複雑で奥が深い
『童夢』(大友克洋)
AKIRAの影に隠れた大傑作SFマンガ
お爺ちゃんと小学生が超能力で殺し合う、という奇抜な設定がまず目を引く。しかも、舞台はある意味閉鎖空間とも言える超巨大団地。緻密な風景を描かせたら右に出る者のいない大友克洋の実力が存分に味わえる。ホラー的な要素もあり、ドキドキ感も半端じゃない。AKIRAで目立った球形に力が発揮される超能力も、この時点ですでに描かれている。
一気に読める芸術娯楽作品。相当に面白いです
『ハッピーエンド』(ジョージ朝倉)
依存しないではいられない三人の女性の青春物語
少女マンガ界の鬼才・ジョージ朝倉が描く青春とその後のお話。
男や友達にどうしても「依存」してしまう三人の女の子たちが、どんな青春を送って、どうその先へと足を進めたかを描いています。
描写のひとつひとつが、セリフのひとつひとつが、胸に迫るというのはこういうことを言うのでしょう。たとえ共感できなくても、彼女たちの姿には生きることのつらさや厳しさ、楽しさを感じられるはずです。少女マンガが苦手な人にもおススメ。
これは映画化してほしいなあ。それぐらいリアル
一冊もののマンガって、長編と比べるとどうしても物語やキャラクターが弱くなりがちですが、逆を言えば、一冊で仕上げているレベルの高い作品とも言えます。
たった一冊で読者を唸らせ、満足させる出来は感動もの。すぐに読めますので、ぜひチャレンジしてみてください。
※買ったけど読んでない一冊もののマンガも結構多いので、今後、また傑作を見つけ次第、随時追加していこうと思います。
贅沢貧乏『ミクスチュア』評
観る人によって違う答えが浮かび上がる現代群像劇
話の構成自体はとてもシンプルだ。舞台はどこかにあるヨガスタジオで、登場人物はそこでヨガをする五人と清掃員の二人、そして街に出没するという謎の野生動物二匹。
彼らがヨガスタジオで語る話や体験する出来事がタイル貼りの舞台で繰り広げられる。
このお芝居で作者はこれといった特定のテーマを押し付けてくることが一切ない。
逆に、さまざまなテーマが絡み合ってるからこそ成り立っているお芝居にも見える。
おそらく、観る人の視点によって、芝居はその色を自由に変えることだろう。
人間と動物の関係、在り方と捉える人もいるだろう。
人間として生きるとはどういうことか、人間は動物なのか違うのか、という問題で観る人もいるかもしれない。
「自分」の存在を社会に置くことの意味、と考えることもできる。
単純にコミュニケーションに関する話と捉えたっていい。
近未来の話だと想像してSF作品として観る手もありだ。
『フィクション・シティー』しか観てない僕が偉そうに言えることではないのだが、それでもなんとなく、作・演出の山田由梨はその曖昧さこそを大切にしているように感じる。
大きな物語や関係性が消えた後の芝居
だから、これから書くことは、作品についてのようでありつつ、じつはあくまでも「僕個人」が感じたことだ。
僕がこのお芝居を観て真っ先に感じたのは、現代の演劇において大きな物語や大きな関係性はもはや意味を持たないのだということだった。
僕は夢の遊眠社や第三舞台がまだバリバリに芝居を打っていた頃に初めて小劇場のお芝居というものに触れた。そこで演じられていたのは、大きな物語であり、相関図を描けるような大きな関係性だった。
もちろん、その中にも現代に通じるような個々のテーマは入っていたのだが、それでも器は大きく、それがケレン味であり、また主題でもあった(いまでもそういうお芝居自体は存在するし、上演されてもいる)。
その後、小劇場のお芝居が大きな物語を失っていく様子は、傍から見ていてもよくわかった。本谷有希子は関係性を極端に凝縮させ「自我」まで突き詰めて物語を語ったし、三浦大輔は極限状態の関係性にこだわり物語自体を捨てた。岡田利規や長塚圭史もそうだ。小劇場の最先端には、もはや大きな物語や関係性は必要とされなかった。これは、劇団が解体され、プロデュース公演が主流になるのと無関係ではないだろう。
小さな関係は他の関係性と関わらない
そういう意味では『ミクスチュア』が大きな物語と関係性を持っていないのは当たり前なのだ。ただ、このお芝居は単に「小さな関係性」を描くところで止まらなかった。
大学院生の男子二人。野生動物を保護したいと願う主婦(?)と極端な思想で食事を取らないと決めたモデル。うつ病を抱える男子。恋人でもなく友人でもない清掃員の男女。ここで描かれる小さな関係性はこの四つだ。
関係性の中にいる彼らは、その小さな関係性に埋もれ、外の関係性と関わろうとはしない。むしろ、それをしようとする姿はこのお芝居の中では異質に見える。
例えば、モデルの女性は清掃員モノ(男子)の姉という設定だが、彼女はモノとヤエ(女子)の関係性に興味があるような振りをしつつも、そこに踏み込むことは一切ない。
また、大学院生の男子の一人はヤエに興味を示して話しかけるが、ヤエはそれをあからさまに拒絶する。
関係性はあくまでも単体でしか存在しないことが前提なのだ。しかし、それは固い絆でもなんでもなく、脆くあっさりと壊れてしまうものだということも、全員がじつは自覚している。わかりながらも、それでも守っている。心のどこかでほかとつながることを願いつつ、だ。
突然現れる異質な存在とその後
そんな中で現れるのが謎の野生の動物だ。彼らが現れることで、四つの小さな関係性は「対野生動物」という姿勢で、無理やりに別の関係性にぶち込まれる。共通する問題を抱える、大きな関係性にだ。面白いのはこの動物もやはり二匹で、ひとつの小さな関係性である(だろう)ということだ。
図らずも大きな関係性となってしまった彼らは、元の関係性に戻るために行動を起こす。それは成功し、一見、元の関係性に戻ったようにも見える。しかし、それはもうすでに元の関係性ではない。
「関係性が壊れる」ことを肌で知ってしまった彼らには、いまさら素知らぬ顔をして元の小さな関係性を演じることなどできっこない。
それは大きな関係性に直接関わらなかった、清掃員のモノとヤエも同じだ。二人は事件を目撃することで自分たちの関係性を見つめなおし、新たに別の関係性を築こうと努力をはじめる(このシーンがとてもいい)。
小さな関係性はどこへと向かうのか
「小さな関係性」すら築けなくなった彼らが最後に行きつく先はどこなのだろう?
お芝居はそれを明示してはいない。ただ、ヒントはある。最後に出てくるヨガのシーンがそれだ。
芝居の最初は、それぞれの関係性を結ぶ同士の二人(うつ病の男の子は一人)が同じ会話をしながら舞台を掃除するシーンから始まる。ブラックライトに照らされて、闇の中に浮かび上がる「関係性」は、それぞれが同質なものであり、それゆえに交わらないことを暗示する。その後、ヨガのシーンがはじまり、先生の声の下、それぞれが自分のヨガを体験する。ただし、この時の最後のポーズは全員が同じだ。そこから「関係性」が明示され、話は進む。
そしてラストシーン。ここもヨガだ。最初と同じように、先生の声の下、それぞれがそれぞれのヨガを体験する。だが、最後のポーズは全員が違う。関係性はここでは「小さな」を超え、もはや「個」として完結してしまう。それが交わるものなのか交わらないものなのかは不明なまま、舞台は幕を閉じる。
矛盾した関係性だからこそ見える可能性
ここから先はさらに僕の妄想が入る。贅沢貧乏はいまどき珍しく「劇団」であることにこだわっている。これを関係性と捉えるのは自然だろう。そして、関係性は絶対なものではない、とおそらく作・演出の山田由梨は知っている。
恋愛も結婚も友情もすべて「小さな関係性」である。価値観の多様化などという言葉を持ち出すまでもない。いま、僕らはこの小さな関係性しか築けない時代にいる。そして、関係性は絶対なものではない、とおそらく僕らは知っている。
それでも「劇団」であろうとする姿勢、それでも「小さな関係性」であろうとする姿勢。最終的な関係性が「個」でしかあり得ないとするならば、それは矛盾している行為でしかない。しかし、それがわかったうえでなお、関係性を結ぼうとしてしまうのが、人間なのではないか。人間の持つ本質的な魅力、あるいは業なのではないのか。
あくまでも個人的にだが、小劇場の最大の魅力は「その先へ」を見せてくれるところにあると思っている。演劇の可能性の場合もあるし、役者の魅力の引き出し方の場合もある。物語の可能性の場合だってある。
でも、どんな場合でも「その先へ」を見せてくれる舞台は、いつも説明のつかない「観たことのない」舞台だ。
『ミクスチュア』は、僕にとってはそんな舞台だった。無理に言葉で説明しようとしてここまでの長文になってしまったけれど、突き詰めて言うなら本当はとても簡単なことなのだ。
今日体験したあの舞台は、間違いなく最高に面白い「未体験の舞台」だった。
まだ、興奮が収まらない。
終わりに
仕事以外でこんなに長く真面目に文章を書くのは久しぶりだったので、自分でも結構、驚いています。なんかね、語りたくなる舞台なんですよ。
もちろん、ここに書いたのは、最初に言ったように「僕の個人的な感想」であって、それ以上のものではありません。全然違うことを感じる人もいるだろうし、作者の山田由梨さんが違うことを考えている可能性だって十分にあります。というか、たぶん違うことを考えているだろうという気もします。
ただ、こんな感じで受け止める人もいるんだってことが伝わればいいかなぁと。
今後の贅沢貧乏も見守っていきたいです。
「ひろこちゃん、ぴょんこちゃん、荒木さん、おつかれさま会」
ありがとう、ひろこちゃん、ぴょんこちゃん、荒木さん
「さよならオフィーリア展」ほか、いろいろとお世話になってきたゴールデン街のギャラリーバー「からーず。」。
いままで、このお店を支えてきてくれたひろこちゃんとぴょんこちゃんと荒木さんが8月をもってお店を離れることになりました(ぴょんこちゃんは納涼祭(8/25)、ひろこちゃんは8/31までです。荒木さんはたぶん本日8/29まで)。
というわけで、いままでの「ありがとう」と「おつかれさま」の意味を込めて、お店を借り切って三人をお祝いすることにいたしました。
「ひろこちゃん、ぴょんこちゃん、荒木さん、おつかれさま会」です。
場所はもちろん「からーず。」
日時は8月30日(金)19:00~26:00まで。
飲み放題で5000円(税・チャージ代込)となります。
「そういえばしばらく行ってなかったな」という方も、「仕事帰りなら行ける!」って方も、「いつも通り行きます」って方も、ぜひぜひこぞって足をお運びください。
常連さん同士でご連絡が取れる方がいらっしゃったら、お声がけもよろしくお願いします。
あの雰囲気の「からーず。」を最後に一晩みんなで満喫しましょう!
【ご注意】
※事前予約等は必要ありません。
※ひろこちゃんやぴょんこちゃん、荒木さんへのプレゼントは大歓迎です。ただ、申し訳ないのですが、お花だけは避けてください(花の置き場がありませんので)。
※誤解されがちなのですが、「からーず。」のお店自体は9月以降も営業しています。営業時間等は変更になるらしいので、詳しくはお店の方に聞いてください。
※「おつかれさま会なのに、三人をめっちゃ働かせてるじゃん」って突っ込みはなしでお願いします。
では、からーず。を愛する皆様のご来店を心よりお待ち申し上げます。
明日から個展がはじまります
浜田泰介写真展「アカルイミライ」
「さよならオフィーリア」展に参加して下さったカメラマンの浜田泰介さんが明日、5月21日より個展を開かれます。
以前にもちょっと紹介しましたが、あらためてまたご紹介しておきます。
会場はからーず。です
場所は「さよならオフィーリア」展と同じゴールデン街のバー「からーず。」です。
初めてゴールデン街を訪れるという人にはぴったりのキレイなバーですので、ゴールデン街に興味がある人もぜひ。
行き方がわからない方は、このブログの「ゴールデン街」にある記事をご覧いただければ、安心してたどり着けますのでご安心を。
どんな写真展になるのか?
写真展の内容については僕も教えてもらっていません。
何やらすごい美人が写っている写真が出るかも? という噂もありますが、それも未定。
すべては明日、火曜日の午後7時に明らかになります。
浜田泰介さん、渾身の写真展、ぜひ足をお運びください。
この曲をあなたは聞き分けられるだろうか?
意外と出来ないこの2曲の歌い分け
「さよならオフィーリア」に関しては、その後の展開がいまだ全然進んでいないので今回はとりあえずおいておいて、無駄話をしようと思います。
あ、とはいえコメントは相変わらず求めていますので、読み終わった方、ぜひこちらからコメントをよろしくお願いいたします。
今回はどうでもいい話。どうしても聞き分けられない。というか、いざ口ずさんでみようとするとごっちゃになってわからない曲たちの話です。
初級編
「スター・ウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」のテーマ曲。
この2つを皆さんはそれぞれ歌い分けられますか?
どちらもジョン・ウィリアムズ作曲で、有名過ぎるほど有名なのですが、結構、ごっちゃになっている人が多いです。
試しに両方口ずさんでみてください。意外とわからなかったりするものですよ。
上級編
中級はなくていきなり上級編です。これは音楽を専門にやっている人でないとかなり混乱します。
まずはこの2曲をお聞きください(どちらも長いので冒頭だけでOKです)。
「展覧会の絵」
「アルルの女」
ポイントはどちらも3つの拍子から始まるところです。
この2曲を歌い分けられる人を僕はほとんど見たことがありません。というか、僕自身できません。
片方が頭に入ってくると、逆のほうが消えてしまう。
すごく不思議なのですがなぜかそうなのです。
そんなことはないよって方は試しに両方聞いた後に、それぞれを謳い分けてみてください。
するとあーら不思議、わからなくなってるんですよね。
ちなみに僕は「展覧会の絵」派で、いつもこっちが頭に浮かんでしまいます。
あなたはどうですか?
と、本当にどうでもいいことを書いてみました。
「さよならオフィーリア」のコメント、心よりお待ちしています。
コ、コメントがない……
いまさら気づいた衝撃の事実
なんとはなしにあれこれ書き綴ってきたこのブログですが、今日、ひとつの驚くべき事実に気づいてしまいました。
なんとブログ開設以来、毎日更新しているにも関わらず、コメントが皆無。
ひとつもない…。
そんなわけで今日はコメント乞食に徹することを決意しました。
ぜひ感想をお寄せください
「さよならオフィーリア展」期間中に小説をお買い求めいただいた皆さん、もし読み終わっているようでしたら、感想をください。
こいつです。こいつの感想をぜひ!
面白かったでも、つまらなかったでも、予想と違ったでも、なんなら装丁の感想でも、なんでもかまいません。
お配りした関係者の方もご意見を聞かせてください!
今後の展開予定
小説自体は大量に余っていますので、どうにかして販売できないかと模索中です。
「さよならオフィーリア展」とも絡めてみたいし、小説の後にぜひ見てもらいたい長谷川諭子さんの写真集とも絡めてみたいし、と妄想は膨らむのですが、いかんせん実現力が足りていません。
そのうち何らかの形をここで発表したいと思っています。
それまで、だらだらとブログを覗きにきてくださるとうれしいです。